レッスン3

実際の運用におけるFHEスマートコントラクト

FHEをスマートコントラクトに適用する方法について、アーキテクチャやデータフロー、FHE VMモデルを中心に解説します。また、オフチェーン共同プロセッサとの連携、鍵管理のための各種戦略、ハイブリッド検証手法などについても説明します。機密性を備えたDeFi、DAO内のプライベート投票、ブロックチェーン上でのプライバシー保護型AI計算など、実践的なユースケースも紹介します。

機密性スマートコントラクト入門

完全準同型暗号(FHE)は、入力データを暗号化したまま計算を実行し、ブロックチェーンやコントラクトロジック自体に元データを開示せずに済む、スマートコントラクトの新たな枠組みを提供します。従来のスマートコントラクトはすべてのパラメータや状態変数、計算内容がネットワーク参加者全員に公開されており、透明性が高い一方で、プライバシーが不可欠な用途には適合しません。金融取引や医療記録、サプライチェーンデータ、ID認証情報などは、透明性が許容できないリスクとなる代表的な例です。

完全準同型暗号をスマートコントラクトに組み込むことで、暗号化された入力を扱いながらも分散型アプリケーションに求められる検証可能な実行が可能となります。これにより、「機密性スマートコントラクト」と呼ばれるシステムが実現します。従来型と同様の挙動を持ちつつ、取り扱うデータの内容を一切露出しません。コントラクトは暗号文(ciphertext)を受信して直接計算し、暗号化された結果のみを返します。復号はデータ所有者本人だけが可能であり、プライバシーを守りつつ、ブロックチェーンの不可変性と合意形成のメリットを享受できます。

FHEスマートコントラクトの構成

FHEによるスマートコントラクトは従来のものと大きく構造が異なります。最大の違いはデータの流れにあります。まず、利用者は自分のデータをローカルで公開鍵により暗号化し、それをブロックチェーンに送信します。この暗号化データ(暗号文)がオンチェーンで動作するコントラクトロジックへのインプットとなります。ゼロ知識証明が入力値を公開せず正しさだけ証明するのに対し、FHEではコントラクト本体が暗号化データそのものに対して完全な計算を行えます。

FHEスマートコントラクトは通常、三層構造となっています。第一層がデータ所有者によるオフチェーンでの暗号化・復号。第二層が、準同型関数を使い暗号文上で算術・論理演算を行うコントラクト実行環境。第三層が計算結果の正当性と完全性を保証する検証メカニズムです。実装に応じては、ゼロ知識証明のような追加的な暗号証明で計算の正当性を担保することもあります。

この構成には、従来のスマートコントラクトフレームワークにはない新たなプリミティブも求められます。標準的な算術演算の代わりに準同型加算・乗算やブールゲートが使われ、ユーザー用の公開鍵とコントラクト用の評価鍵の両方を管理できる鍵管理体制も不可欠です。これらを安全かつ効率的に扱うことが、分散型環境でのFHE実運用のカギとなります。

FHEVMモデル

完全準同型暗号を既存ブロックチェーンエコシステムに統合する代表例の一つが、Zama社が開発したFHEVMです。FHEVMはEthereum Virtual Machine(EVM)を、暗号化データ上でも動作可能に拡張します。暗号化状態変数・暗号化トランザクション・暗号文に最適化されたオペコードを新たに導入し、従来のEVMツールと互換性を持たせつつ、機密性レイヤーを付加しています。

FHEVMでは各コントラクトが暗号化された状態を持ち、格納データもネットワーク参加者からは読めません。ユーザーは公開評価鍵で入力を暗号化し、暗号文をブロックチェーンへ送信。コントラクトはFHE方式、特に論理ゲートとの親和性が高いTFHEを用いて暗号文上で計算を行い、暗号化アウトプットを生成します。ユーザーはこれを自分の秘密鍵で復号します。

FHEVMの画期的なポイントは、暗号化と検証を分離していることです。ブロックチェーンは平文データにアクセスできませんが、暗号文上の決定論的処理によりコントラクトロジックの正しさを検証できます。合意形成と組み合わせることで、ノード全体が元データに触れずに同じ暗号化状態へ到達できることが保証されます。

コプロセッサとオフチェーン実行

完全準同型暗号による計算をオンチェーンで直接実行するには、多大な計算資源・ガスコストがかかります。これを解消するため、多くの設計でオフチェーンコプロセッサが導入されています。このモデルでは、ブロックチェーンには暗号化された入力と状態遷移のみが記録され、重たい計算処理はFHE向けに最適化されたオフチェーン環境で行われます。計算が終わると、コプロセッサが暗号化された結果をブロックチェーンへ返し、状態を更新します。

この分業体制は、ゼロ知識ロールアップやオプティミスティックロールアップに見られるスケーラビリティの発想に通じます。FHEスマートコントラクトでは、コプロセッサにより、暗号化機械学習推論やマルチパーティ計算のような高負荷処理もベースレイヤーの負担を避けて実行でき、機密性を維持できます。Fhenixなどのプロジェクトが、FHEロールアップとEthereumを組み合わせて、最小限の信頼で機密実行環境を提供する設計に取り組んでいます。

課題は、オフチェーン計算の信頼性確保です。検証可能な計算やzk-proof技術を活用すれば、ブロックチェーン側が元データを見ずとも、暗号化結果が有効な計算であると証明できます。このハイブリッドアプローチによって、さまざまなプライバシー保護技術の強みを融合し、安全かつスケーラブルな機密性コントラクトを実現します。

鍵管理とアクセス制御

FHEスマートコントラクトの導入で最も重要なのが鍵管理です。従来型暗号ではユーザーが暗号化と復号の鍵をすべて管理しますが、FHEの場合は複数種類の鍵を適切に扱う必要があります。ユーザーは公開鍵で入力を暗号化し、コントラクトは同一鍵ペア由来の評価鍵を使って計算を行います。復号用秘密鍵は常にユーザーが保持し、ブロックチェーンはいかなる段階でも平文データにアクセスしません。

この仕組みでは、複数ユーザーが各自の秘密鍵を持つ場合、どうやって一つのコントラクトに参加できるのかという課題があります。一つはスレッショルドFHEの採用で、復号には複数人の協力が必要となり、一人で出力を取り出せなくする方法。もう一つは、複数人での集合的な処理を可能にする共有評価鍵の導入です。どちらも分散型環境での相互運用性や最小限の信頼が求められ、現在盛んに研究が続けられています。

また、データを暗号化することで、アクセス制御の実装も複雑になります。従来のように平文属性で権限チェックするのが難しく、暗号化されたポリシーや暗号タグを準同型演算で評価する必要があります。この領域は発展途上で、FHEと属性ベース暗号を組み合わせて、機密性スマートコントラクト内で柔軟な権限制御を行う実験も進められています。

FHEスマートコントラクトの活用例

暗号化データ上で直接計算できることにより、従来の透明型ブロックチェーンでは困難だった新しい分散型アプリケーションが可能になります。分散型金融(DeFi)においては、担保評価額やローン条件を秘匿したまま執行できる機密レンディングや、市場メイカーが流動性ポジションや取引戦略を公開せずにトレード処理できる方式により、フロントランニングやMEV(マイナー抽出可能価値)のリスクを低減できます。

ガバナンス領域では、FHEはDAOの秘密投票を実現します。メンバーは暗号化された投票を提出し、スマートコントラクトが準同型演算で集計することで、秘密を保ったまま検証可能な結果を出すことができます。これにより、投票者のプライバシーは守りつつ、意思決定の透明性・整合性も維持されます。

このほか、分散型ID管理やヘルスデータ管理にもFHEの活用が広がっています。個人は機密情報を明かさずに資格証明や医療情報の一部を提示でき、AIモデルも暗号化データセット上で推論可能なため、データ提供者もモデル提供者も情報資産を漏らさずに協調的な機械学習が行えます。

パフォーマンス面での課題と現状の制約

完全準同型暗号は、従来型暗号やゼロ知識証明方式に比べて依然として計算コストが高く、特に乗算やブートストラッピングの処理がトランザクションのスループットやガスコストに大きな影響を与えます。現時点では、高いプライバシー要求があり取引量は少なめな機関DeFiやプライベートガバナンスなど、用途が限定されがちです。

近年では、スキーム設計やハードウェアの進化で課題の改善が進みつつあります。TFHEによるミリ秒未満のブートストラッピングや、準同型計算専用ハードの存在による待機時間の短縮、そしてコプロセッサやロールアップへの負荷分散によって実用性が増しています。しかし技術の成熟はまだこれからであり、本格普及にはさらなるパフォーマンス向上や、ライブラリ・フレームワーク間の標準化が不可欠です。

またもう一つの課題は開発者の参入障壁です。TFHE-rs、Fhenix SDKなどのツール群が普及しハードルは下がりつつありますが、FHEアプリ開発にはノイズ管理や暗号文パッキング、鍵管理などの専門的な知識が必須です。抽象化やツール群の成熟が進めば、機密性スマートコントラクトは主流ブロックチェーン開発へ広く展開されることが期待されます。

免責事項
* 暗号資産投資には重大なリスクが伴います。注意して進めてください。このコースは投資アドバイスを目的としたものではありません。
※ このコースはGate Learnに参加しているメンバーが作成したものです。作成者が共有した意見はGate Learnを代表するものではありません。